あそちゃんの白血病闘病記

2019年9月30日に発覚した、慢性リンパ性白血病の闘病記です。

慢性リンパ性白血病闘病記60(アナフィラキシーショック)

実は、8月15日の昼前に自宅の敷地内でスズメバチに後頭部を刺されてアナフィラキシーショックをおこし、救急車で運ばれて救命処置を受けるという大変貴重な体験をしました。本当にこの世とお別れするところでした。

以下はそんな体験記です。ちょっと長いのですが、お読みいただければ幸いです。
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ハチのムサシは死んだけど、ハチでヒロシは死にかけた!

写真はありません。リアルなアナフィラキシーショック体験記。お暇ならお読み下さい。

その昔「ハチのムサシは死んだのさ」(下記注釈1)という曲がありましたが、「ハチでヒロシは死にかけた」のです。
それは8月15日、お盆の最後の日。もしかしたらご先祖様がお迎えに来られて呼び寄せようとしたのかもしれません。昼前に診療室の窓の汚れが気になっていたので、掃除をしようと脚立に乗って窓を拭きかけたその時、首の後ろにズズーンとなんとも言えぬ痛みが走りました。
(あ、これはハチに刺されたな、何度目だろう、これはいかん医者へ行こう)
急いで車に乗って近所の内科へ行くと、今日はまだお盆なのでお休みです。仕方がないのでUターンして車で戻る途中から気分が悪くなって、意識がもうろうとしてきました。車のエアコンは入っているのに汗がボタボタと落ちます。間違いなくこれはアナフィラキシーショックです。家にいったいどうやって戻ったのか、もうろうとしていたのによくまあ車の運転をして自宅まで帰ってこられたものです。
家に帰り着くとどうしようもない気分の悪さで床に倒れ込みました。視界がぼんやりしてきます。でも妻が家にいたので本当に良かったです。
「母ちゃん、どうしよう。これはいかん、最悪や。どこか病院連れてって」
「困った、どうしよう。そうだ救急車呼ぶわ!」
息苦しいような意識が遠のいていくような例えようもない気分の悪さが襲ってきます。
「父ちゃん、しっかりしてね。すぐに救急車来るよ。頑張って!」
どれくらい時間が経ったのでしょうか。救急車の音がしてだんだんと近づいてきて、気がつくと横に救急隊員の方が座っています。
「もしもし、わかりますか?」
「はい、わかります」
すぐにガバッと口元に酸素マスクが取り付けられました。
「これはいかんな、急いでドクターヘリ呼んで!」
「はい!」
(えっ、ドクターヘリ、オイラそんなに状態悪いの。意識はあるよ)
「今日は、悪天候なのでヘリは飛ばせないそうです」
「うーん、じゃあ高塚インターまでドクターに来てもらって処置してもらいながら済生会病院(日田)まで行こう」
「はい、連絡します」
高塚インターは私の住んでいる九重町と日田市の真ん中あたりに位置するインターです。
「麻生さん、今から病院行きますからね」
担架に乗せられて、車内に運び込まれて救急車が走り出しました。
私が寝ていた床の上は汗でびしょ濡れになっていて水たまり状態になっていたそうです。
そして記憶にありませんが、救急車に乗せられるまでに2回ほど吐いたそうです。
「これは点滴した方がいいな。ドクターに連絡して点滴の許可取ってくれ」
「はい。もしもし・・・」
救急隊員というのは大したものですね。動く車の中で静脈を確保して点滴開始です。
車は高塚インターに向けて高速を走っているようですが、ぼんやりしていて良く覚えていません。
吐き気がしてきました。
「すみません。吐きそうです」
「えっ、吐く?じゃあこれに吐いて」
膿盆に大量に吐いてしまいました。高塚インターに着くまでに何度か吐いて、せっかく食べた朝食が全部出てしまいました。もったいない。もう吐くものはありません。
目をつぶって寝ようとすると、救急隊員の方が声をかけてきます。
「お父さん、目を開けといてね。つぶったら気を失ったかと思うからね」
(お父さん?私は、あなたのお父さんじゃないよ)
そんなこと思う余裕はあったのですね。しかし本当に大変な状況だったのでしょう。
救急車に同乗していた妻は、
「ああ、これで父ちゃんとはお別れなのかな。人生ってあっけないもんだな」
と本気で考えていたそうです。
高塚インターに着いたようです。いつの間にか、横に医者がいました。
「麻生さん。済生会病院救急科のUです。今から処置しますからね」
ズボンを脱がされて、太ももに注射をされました。
「アドレナリンですか?」
「そうです、よくご存知ですね。会話は出来ますね。すぐ病院に着きますよ」
救急車の音、医者と救急隊員の会話、点滴の追加、聴診器が当てられたり、いろいろとうろ覚えですが、周りの音は聞こえていましたし、ずっと話しかけられて何か返事をしていたのも覚えています。
会話をするというのは患者の意識を保つための方法でもあるようです。
おかげで意識を失うことはなく、済生会病院に到着して救急車から担架が下ろされて、救急外来の処置室へ運ばれたのもはっきりと覚えています。
担架から抱え上げられて処置用のベッドに移されました。身体中に何本も管が繋がれて処置が始まりました。
パンツをガバッと脱がされました。
「あっ、パンツ脱ぐんですか?粗品を見られちゃうね」
「大丈夫、大丈夫。仕事柄いろんなもの見慣れてるから恥ずかしがらなくていいですよ」
気が遠のきながらも看護師さんとバカな会話もしていました。ホントにバカです。
モニターが見えます。血圧が少しづつ下がっているのがわかりました。最高血圧は60を切っています。
一般的に最高血圧が60以下になると危篤状態なのだそうです。そんな状態になっていたのです。
「血圧があがらないね、もう1本打とうか。脈が弱いな。◯◯入れて。アドレナリンも追加ね。そっちは◯◯確保して。そうそう」
そんな声が聞こえてきて、このまま気を失ったら、この世とお別れかな。でもそれなら苦しくなくていいかな。いやいや、まだ死にたくないから先生助けて下さいよ。などとぼんやりと考えていました。
「よし上がってきたね。大丈夫。良かった。麻生さん大丈夫だからね。でも今日は入院して経過観察です。今から、この病院で一番いい部屋に行きますよ」
ベッドに乗せられて連れていかれたのは、HCU(高度治療室)でした。なるほど一番いい部屋です。
身体はガタガタと震えが止まりません。汗びっしょりです。
横には看護師さんが2人立っています。U先生からいろいろと指示を受けています。
胸には心電図用のパッチが貼られ、そこからコードが3本。左腕には血圧計、左指先にはパルスオキシメーター、そして静脈確保の点滴の針。右腕には点滴のチューブ。その先には何本かの点滴液が吊るされています。そして鼻には酸素用のチューブ。身体中チューブまみれです。
ベッドに寝たまま体重を測られて、処置を受けて少し落ち着いたのか意識もはっきりとしてきました。
看護師さんがやさしく話しかけてくれます。
「麻生さん、わかりますか?大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「良かったですね。本当に危ないところでした。ゆっくり寝ていていいですよ」
「汗びっしょりでシャツが濡れていますから、着替えましょうね。そうか着替えはないですよね。じゃあ病衣を着てもらって、パンツはないからオムツですね」
えっ、オムツなの。履いてみるとこれが意外と履き心地が良いのです。なんか楽だわ~。
「オムツ履くってことは、おしっこもこの中にするんですか?」
「はははは!いやいやいや、自分で動けるから尿瓶にしてくださいね。はいこれ」
ベッド脇に尿瓶がおかれました。
しばらくして処置をしてくれたU先生がやってこられました。
「麻生さん、もう大丈夫ですよ。ただアナフィラキシーショックは、引き続き起こす人もいますから、今日はここに泊まってもらって様子をみます。何事もなければ1,2泊で帰れると思います」
「ありがとうございます。先生は命の恩人です」
「いやあ。これくらい、いつものことです。ではゆっくりされてください」
それから、問診を受けたり、誓約書にサインをしたりして、その後は退屈な時間が過ぎていくことになりました。部屋にはスマホも、テレビも、本も、そして時計もありません。両手もチューブに繋がれているので、ひたすら目をつぶって横になっているしかありません。長い長い修行のような時間が過ぎていきました。
左側に見えるのは管理用のモニターだけ。心拍数、血圧、血中酸素濃度、心電図の波形が映し出されています。5分おきに血圧が自動で測定されてモニターに映し出されます。血圧は下がってはいないようで安定しています。ただ横になってモニターを見ているだけですが、いつの間にか外が暗くなっていました。
時々、看護師さんがやってきて点滴の入れ替えやモニターのチェックをしては部屋を出ていきます。
そうそう点滴をしていると、やたらと尿意を覚えておしっこをしたくなるのです。横には尿瓶が用意されています。さておしっこをしようとすると、これが大変。起き上がって腰を浮かして病衣とオムツをおろして尿瓶をナニにあてますが、こんなこと日頃しなれていないので、身体の方に出すぞ出すぞと意識を集中しないと出てくれません。それも腕のチューブが抜けないように注意しながら、じわじわとやらねばなりません。立っておしっこを出来るというのは本当に快適なものであるのを実感しました。
そろそろ夕食の時間なのか腹が減ってきました。看護師さんが部屋に入ってきたので質問します。
「あの、今日は夕食はないんですか?」
「そうですね。今日は救命処置を受けた後ですから、朝まで絶食ですね」
ガーン!淋しい夜となりました。それにいつの間にかもう夜の8時を過ぎていたのでした。
そして9時の消灯時間となり、血圧測定も1時間おきということになり、部屋のカーテンが閉められました。
寝ようと思っても寝られません。うとうとして寝られるかなと思うと1時間おきにブーンと音がして腕の血圧測定が始まる。外からは20分おきくらいに救急車がやってくる音が聞こえてくる。明け方までずっとそんな感じでほとんど寝られずに朝を迎えました。
起床時間になり、看護師さんがやってきました。
「麻生さん、気分はどうですか?」
「あまり寝てませんが、もう普通に大丈夫そうな気がします」
腹がペコペコです。
「あの、朝食はないんですかね?」
「どうなんでしょうね。先生に聞いてみますね」
それから待てど暮らせど食事はやってきませんでした。ガッカリ。
そして採血をされ、移動式のレントゲンの機械が運び込まれて胸部レントゲン撮影をされました。
担当医のU先生がやってこられました。
「麻生さん、気分はどうですか?」
「はいもう大丈夫そうな気がします」
「どうされます。もう帰られますか?」
「はい、帰りたいですね」
「わかりました。じゃあ午前中に退院出来るようにしましょう」
そしてしばらくすると身体中のチューブがはずされました。
待っているとお母ちゃんがやってきました。面会のための手続きをきちんとして病室に入ってきたそうです。
着替えを済ませて、スタッフの方々と担当医に挨拶して1泊で無事退院となりました。

貴重な体験でした。本当にこの世とお別れの寸前まで行ったのでした。気は失わず、お花畑をみることはなく、今こうして文章を書いているというのが本当に幸運だったとしみじみと思えます。
皆様ハチにはくれぐれもご注意ください。
ただ一つ心残りなこと。どうせならドクターヘリで運んでもらいたかったなあ!

                                 完

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ということで月末予定のPET検査は延期となりました。

注釈1
「ハチのムサシは死んだのさ」は1972年2月15日に発売された、平田隆夫とセルスターズの楽曲。この曲で紅白歌合戦に初出場を果たした。